逃げ上手の若君(逃げ若)の中先代の乱の後に登場した「北畠顕家」。
北畠顕家は、建武の乱にて一躍華々しい活躍したことで時行には「まるで太陽がそのまま人になったような人物」と評価されています
そんな、北畠顕家ですが逃げ上手の若君の最後にどうなるのかが気になる人がいるのではないでしょうか。
また、史実の北畠顕家の死亡した原因も気になるところです。
そこで、今回は逃げ若の北畠顕家の最後について以下のことを調べてみました!
- 逃げ若の北畠顕家の最後はどうなる?
- 逃げ若の北畠顕家の史実の死亡原因はなぜ?
ということを「逃げ若の北畠顕家の最後はどうなる?史実の死亡原因はなぜ?」と題して記事をお届けします。
逃げ若の北畠顕家の最後はどうなる?
逃げ若の北畠顕家は石津の戦いに勝利した後に最後を迎えることになります。
#逃げ上手の若君
— わむ (@ys3yRT3XhhgjOkC) May 13, 2024
今週の逃げ若、かなり盛りだくさんですね。北畠顕家上奏文と宮中で陵王を舞ったエピソードを取り上げてました。そう言えば久々に後醍醐天皇が顔出ししてましたが、前回といい今回といい、最後の戦いの前なんですよね。次の石津の戦い、かなりのドラマになりそうです。 pic.twitter.com/CtUFh19zRh
顕家は高師直を討ち取りますが、増援として現れた足利尊氏と一騎打ちとなり薙刀で体を貫かれて致命傷を負うことに。
瀕死となり動けなくなった北畠顕家は足利軍に完全包囲されてしまいます。
逃げ若の北畠顕家の最後は史実とは少し違うようですね。
逃げ若の北畠顕家が最後のセリフとは?
逃げ若の北畠顕家は「余は美しく理想を追う自分の性を貫いた」と最後の言葉を時行に伝えています。
その言葉に、北条時行は「あなたの性に眩いばかりのその輝きに最上の敬意を覚えます」と顕家に返しました。
その言葉に、「同じだ!」「若の生き方に敬意を覚える」と顕家は言い残します。
逃げ若の北畠顕家の最後の死亡シーンは漫画の何巻何話?
逃げ若の北畠顕家が最後に死亡するシーンは、漫画の最新169話「百花繚乱」で描かれています。
逃げ若の北畠顕家があらゆる花を背負って1ページぶち抜きでお披露目されたことは既に令和史に残る伝説となっているが、百花繚乱の背後に稲妻が閃いているのは迅速さも表していて最高
— とみや (@MadolcheNights) July 8, 2023
神様仏様mti様と言わざるを得ない
最後に死亡するシーンでは弓矢を空に打ち、「もっと咲け!甘えるな」「御ぶちのめすぞ花共」という言葉を残す北畠顕家の姿が描かれています。
弓矢を空に打ちながら倒れないで、息を引き取る北畠顕家の姿はとても泣けます。
逃げ若の北畠顕家の史実の最後は?
逃げ若の史実の北畠顕家の最後は、石津の戦いで北朝方に包囲されてしまい高師直に討ち取られて顕家は戦死したことが判明しています。
石津川の北畠顕家が戦死した場所
— ほげはげ (@rokkun128) May 25, 2024
漫画「逃げ上手の若君」では
史実通り、北畠顕家が高師直に
討たれる展開になるはず(^^;
優秀な人間が21歳でこの世を去るとは
戦争は悲しいものだね(´- ̯-`) pic.twitter.com/slHKLvRZsQ
顕家は供廻り等二百騎とともに石津で北朝方に包囲された。残り少ない顕家軍は決死の戦いを挑み尚も奮戦した。
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%95%A0%E9%A1%95%E5%AE%B6
この戦では、瀬戸内海水軍の支援攻撃を受けて北畠軍は潰走したそうです。
残り少ない軍で顕家は決死の戦いに挑み尚も奮戦しますが、高師直に討ち取られてしまいます。
北畠顕家の史実の死亡はいつ?
史実の北畠顕家は建武5年5月22日(1338年6月10日)に石津の戦いで、亡くなったことが歴史の記録に残されています。
延元3年/建武5年5月22日(1338年6月10日)(21歳没)
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%95%A0%E9%A1%95%E5%AE%B6
北畠顕家は21歳という若さで、高師直に討ち取られてしまいました。
また、顕家に仕えていた名和義高や南部師行も戦死したことが明かされています。
逃げ若の北畠顕家の史実の死亡した原因は?
逃げ若の史実の北畠顕家は「落馬」したことが死亡した原因になります。
足利尊氏の執事で尊氏の右腕だった高師直は疲弊した北畠顕家軍と一進一退の激戦を繰り広げ、一時は天王寺まで侵攻しますが阿倍野で高師直に負け、最期は石津で善戦しますが海からも攻められ多勢に無勢、吉野へ敗走する途中に落馬して討ち取られます。
— koji😈Cilvie (@sixx_0202) February 7, 2024
配下だった南部師行と名和義高も討死します。 pic.twitter.com/bQq1sphG17
北畠顕家が戦の中で落馬してしまった理由は「疲労」です。
顕家軍は善戦したものの連戦の疲労に加えて、北朝方についた瀬戸内海水軍の支援攻撃を受けて苦境に立たされる。
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%95%A0%E9%A1%95%E5%AE%B6
北畠顕家は連戦していたことで疲労がたまり集中力がきれてしまいます。
なので、北畠顕家は疲労がたまっていたことで落馬し、高師直に討ち取られて死亡してしまいます。
まとめ
「逃げ若の北畠顕家の最後はどうなる?史実の死亡原因はなぜ?」を最後までご覧いただきありがとうございました。
今回は「逃げ若の北畠顕家の最後」についてをまとめてきました。
- 逃げ若の北畠顕家は石津の戦いに勝利した後に足利尊氏と一騎打ちとなり薙刀で体を貫かれて致命傷を負うことで最後を迎える。
- 逃げ若の史実の北畠顕家の最後は、石津の戦いで北朝方に包囲されてしまい高師直に討ち取られて顕家は戦死したことが判明。
- 逃げ若の史実の北畠顕家は連戦していたことで疲労がたまり集中力がきれてしまい落馬したことが死亡の原因と言われている。
漫画と史実では北畠顕家は違う最後を迎えています。
史実と違う展開で、北畠顕家の最後を描く松井優征先生はとてもスゴイと思います。
北畠顕家が亡くなったことで、北条時行はどんな戦略を見せるのかとても楽しみです。
コメント